きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
第14回 松村方生さん
100円パーキングの“空中”に「新しい夢のつぼみ」と「都市の緑」を産み出したい
都市にもっとほっとする空間や緑があったらいいのに・・・。そんな思いは 都会ですごす誰しもがいだくものです。
でもどうやって実現する?
その方法を見出して、ビジネスとして取り組もうとしている1人の起業家に 出会いました。松村方生さん、28才です。

東京の街に立ってぐるり360度見渡すと、ビルとビルの合間に必ず見える 「100円パーキング」の看板。休閑地の手軽な活用システムとして、ここ10数年の間に急速に拡がった都心の風景です。そして今後、この風景が、また変わろうとしています。

駐車場の上には、アルミの枠と透明なガラスで組み立てられた直方体の建築物が建ち、屋上には緑の空間。28才の青年起業家松村さんが「人が人らしく生きるために本当に必要な空間を都心につくりたい」という思いから、発想した100円パーキングの空中利用というアイディアです。

パーキングの上には、新しい価値を生み出そうとする人達のショップやオフィスなどの「拠点」をつくり、ビジネス的に成立させる。そしてその上を緑化する。単に都市緑化というだけではなかなか実現が難しいことを、ビジネスとの合体によって実現し、継続・拡大が可能なモデルにしようとするものです。
不動産や建築の業界構造を根本から見つめ直したプランは、環境省主催の「2005年環境ビジネスコンテスト」で準グランプリを受賞しています。

純粋に学問だけをしようとしていた物理学専攻の学生が、キャンパスの外で気がついた「人間」ってもの・・・。花形外資系戦略コンサルティングファームに就職して、企業再生の現場にどっぷり浸かって気がついた「社会」ってもの・・・。
そして退職、起業。
いつも「思い」に素直で、そのなかで持てる力を最大限に発揮する松村さんのこれまで、そしてこれからのお話を、先日東京駅八重洲口近くにオープンしたばかりのショールームで伺いました。


【プロフィール】  株式会社フィル・カンパニー 代表取締役 松村方生さん
まつむら まさお 1978年埼玉県生まれ。父親の転勤で小学校時代は大 阪で育つ。東京工業大学理学部物理学科卒業。外資系戦略コンサルティング ファーム、ベイン・アンド・カンパニーに入社。数々の企業破綻が新聞で大 きく報じられていた時代背景の中、新規事業立案、合併後の戦略構築など分 野を問わず主に企業再生に係るコンサルティングに従事。4年後に退社。
その後、株式会社フィル・カンパニーを設立。今年2006年3月20日2 年間の準備期間を経て、「フィルパーク」の第1号をショールームとして東 京八重洲に完成。駐車場の空間を利用する独自のスキームが動き出す。

株式会社 フィル・カンパニー

■物理学の「理論美」「様式美」に惹かれていた学生時代でも、世の中って「ニュートンの法則」だけでは動いていないぞ

宮崎 大学では物理を専攻されたということですが、中学校、高校の頃はどんなことがやりたかったのですか?

松村 小学校の頃からアインシュタインやホーキング博士などに興味がありましたが、何になりたいというのはありませんでした。本を読むのが好きで勉強はできましたが、どちらかというと内向的で、外向きに何かをやるというタイプではなかったですね。

生まれつき目が悪く弱視なんです。そのことで幼かった頃は、親からスポーツをはじめ、いろいろなことを制限されていて、その中で生きる道を探すものだと思っていましたから。

ただ、人と違うというコンプレックスはあったけど、とにかく勉強を 頑張りました。
そして高校に入った時には身体を徹底的に鍛えました。
部活動では少林寺拳法をやりました。親は色々心配したようですが、武道というのは多少見えなくても相手の気配を感じて動くこともできるんです。全国大会に出場したりして結果も出しました。

勉強もできた。運動もできるようになった。文武両道を実現して自信につながったんだと思います。実際に何かをやって自分の限界を拡げていくことで、少しずつコンプレックスから開放されて自由になりました。

大学で物理学を選んだのは、学問の中で、一番本質的で、難しそうだったから。テクニカルじゃないのがよかったのかな。

宮崎 あまりお金につながる分野ではありませんが、そこはどのように考えたのですか。

松村 当時、中高生だとあまりお金を使う機会もないし、お金というものを感じることもありませんよね。たぶん、教材でもらういろんなものの中で、数学というものにある純粋な理論美とか、様式美とかに惹かれたのだと思います。

宮崎 そして就職なさったのが戦略系コンサルティングファームだということですが、何か理由があったんですか。

松村 もともとは大学院に進んで学問を追求することしかイメージしていなかったんです。
純粋に数学の定理や物理学の理論などを「おれこの真理わかっちゃった」みたいな、ある種自分のものにして使いこなせるというようなことを追っかけていましたから。でも、どうやら世の中「物理学」だけでは全く動いてないぞと気がついた。ニュートンの法則では動いていないということを実感したんです。

宮崎 例えばどういう時に。

松村 つき合っている彼女にフラれる。これって明らかに関係ないですよね(笑)。それに世の中で政治家が台頭したりするのも物理とは全然関係ない。単にモノが落ちるということは法則としては真実なんだけど、社会を動かす力ではないっていうか、あまりにも客観的すぎて何かを動かす力になっていない。説明するための純粋なこう・・なんていうんでしょう・・・。

写真に似ていると思うんです。写真というのはクリアーにピシっとその瞬間を捉えているけど、そこにあるオブジェクト、つまり「モノ」がないと成立しない。きれいな写真としてぴしっと撮られている富士山や夜景なども、その写真を撮る前段取りというものが山ほどあって、あの写真が撮れるわけです。

客観としてある事実だけでは成立しないもっと動的な関係があるんだということに気がついたんです。

宮崎 物理学、つまり学問というもは、世の中のある部分静止している原理ではあるかもしれないけど全部ではない。もっと他にいろんな営みがあって、それは原理になるものではなく、常に更新されて新しいものに変化していく。その方がちょっと面白いかなって思ったんですね?

松村 客観的に見ることに飽きたんだと思います。
アカデミックな狭い世界にいながら自分自身の視野を広げないと、という危機感もありました。


■日本経済が疲弊していた中、「企業再生」に大義を感じた・・・外資系戦略コンサルティング業界へ

宮崎 就職活動の時は、いろいろ回ったと思うんですが、ジャンル的(外資系戦略コンサルティングファーム)には決めていたわけですか。

松村 はい。裏表あると思うんですけど、表の部分の仕事の目的として「日本のお父さんを守りたい。父親がクビになって家族が路頭に迷う、それを守るなんて、なんてかっこいいんだろう」って思いました。
裏の部分としては、給料が高かった。

大義名分とお金というふたつの天秤が、自分の中で両方高いのがいいなって。

あとは仕事として具体的に何をやりたいというのが特になかったので、分野として選べませんでした。

宮崎 何年お勤めになったんですか。

松村 4年です。

宮崎 入社なさった頃の日本経済は大変な状況でしたね。

松村 えぇ、破綻寸前の企業の再生だとか、M&A、合併後の事業戦略構築だとか。新人研修を1週間受けた後、いきなりOJT。プロジェクトの現場に出て個人としての結果をすぐに求められました。

宮崎 プロジェクトというのはチームとして行なうものですよね。

松村 えぇ。あくまでチームで行ないますが、基本的には各自責任を持ちます。

宮崎 一般的にいうと経済を勉強した人のスキルなりが活かされるような気がしますが、物理系の学問がどのように活かされるんですか?

松村 戦略系コンサルタントというのは、洞察力、論理的思考に優れていることが第一条件で、知識やバックグラウンドは特に選びません。

物事を観察して、論理的に結論を導き出す力が重要で、知識として必要なことはその都度身に付けていきます。その分野に関する知識が初めから豊富であることは必要とされません。必要なのは方法論を持っているかどうかなんだと思います。

例えば、本当に料理が上手な人は、料理本何万冊という豊富な知識がなくても、素材や道具が持つ特徴、使い方ひとつでいろんな美味しい料理がつくれると思うんですね。それと似ていると思います。

実際その会社にはさまざまなバックグラウンドの方がいらして、人材の宝庫でした。とても貴重な経験ができたと思います。本当に知力・体力の限界まで酷使して忙しかったですが、やりがいがありました。


■仕事を通して見えてきた社会の構造勝ち組にいながら悶々と考えた「これからの自分」

宮崎 そして、ある種勝ち組みといわれる世界にいた松村さんが、何故退職をし、今の事業をはじめようと思われたのですか。

松村 3日、3ヶ月、3年ってよくいいますが、3年はどんなことでもやろうと思っていました。どんな仕事でもきっといいことばかりじゃないけど、最初の3年は夢中でやるんですね。でも3年経つと見直すわけです。これでよかったのか、このままいっていいのかなって。

僕の場合も、本当にこのままで自分のやりたかったことが果たせるのかなって、4年目の一年間は悶々と悩みました。
自分の仕事の限界が見えてきたんです。

企業再生の現場に携わっていて、次から次へと企業の問題に直面し、再生のための戦略を構築して提案する。それは確かに高い報酬を頂ける価値の高い仕事とは思うのですが、その仕事の前段階と後段階はどうするのか・・・ということなんです。

まず前段階でいうと、会社が次々と苦しい状況に追い込まれていった背景には、これまで経済産業省がとってきた政策が成り立たなくなっていたという問題もあります。
これは事業計画というレベルでどうにかできることではないですよね。もとをただせば官僚がもっと早く手を打っていれば避けられた話なんじゃないか。そういうことに目がいくようになったんです。

宮崎 カンフル療法というものではなくて、もっと抜本的なところをなんとかしなくてはということですね。

松村 えぇ。あとは後段階の問題。自分のやった仕事が本当にクライアントのためになったのか、実態が改善されているのか、ということにも疑問を持つようになりました。

宮崎 結果的になかなか想定したようになっていないということですか。

松村 もちろん本当に良くなったケースもたくさんあります。それは誇るべきことだとは思いますが、一時的には好転したもののまた苦しい状況になってしまうようなケースもありました。

僕は若かったから、もっと理想を見たかったから、自分の仕事も必要なんだということに気がつきませんでした。今思えば、あの時、よそ見をせず、もっと仕事に打ち込んでいたら、また違った道もあっただろうし、別の方法を見つけられたのかも知れないと思うこともあります。

今は自分の責任が持てる範囲で、少しずつでいいから、本当にピカピカの元気な会社を創りたいと思っています。

宮崎 それでご自分で起業なさろうとしたわけですね。ただ、今のお話で「前段階」であればもっとマクロ的というか政治的ということがありますね。「前段階」についてはご自分でやるということとしてあまり関心はないのですか。

松村 ああ問題はここだな・・。ということを考えると、政策研究室とか、政策秘書とか、シンクタンクに行こうかなとも思いました。大きな器から変えないと何にもならないと思いまして。

宮崎 ほぅ それでどうなさったんですか。

松村 まず、官僚だけでは国を変えられないということがわかりました。実際、官僚の世界からコンサルティング業界に入った人達もたくさんいるので、省庁の現場の話を伺うことがあるんですが、結局官僚だけでは国を変えられない、だったら政治家になれば変えることができるだろうかと考えたんですね。

宮崎 そうですか?政治家も国を変えられないと思いますけど。

松村 まぁそうなのかも知れませんが、官僚は政治家に弱く、政治家は民意に弱いというじゃんけんゲームのような構図の中でどの立場を選ぶかということです。

自分自身が立候補することも含めて政治の世界にいこうかなと、いろんな人に相談したんですが、どうやらまだ僕にはポリシーがないなって気が付いてしまって。信念がないわけですよね。

「これが日本にとって必要」とか、「こういう21世紀の日本を創るべきだ」とか、なんでもいいんですが、自分の中にリアルな実体験に基づいた人間性という基盤のようなものが出来上がっていないんです。
今政治の世界に入ったら呑み込まれてしまう、自分を見失ってしまうような気がしました。
それで、そちらの世界に飛び込むのは後にしようかなと・・・。

宮崎 後にはあるのですか。

松村 そうですね。50才60才になったら(笑)。

宮崎 今の流れと逆ですね。政治の世界はどんどん若くなってますものね。

松村 政治といっても漠然とですが、僕は市長のようなやりたいことができる、顔が見える範囲がいいかなって思ってます。

宮崎 もしかすると道州制になってて、道知事?州知事?とかになると面白いですね。

松村 そうですね。8道州とかになって、それぞれ個性があって、文化の街、工業の街とかあって、皆それぞれ好きなところに住むというのがいいですね。


■経済優先の社会の中で薄まってしまったセーフティーネット人が人らしく生きられる「何か」をつくりたい

宮崎 一年間悶々と考えてマクロ経済や政治という前段階をやるということもあるけど、コンサル会社から見れば後段階である実際のビジネスをやろうと結論をだされたわけですね。

松村 視点でいうとXLMS、巨視的なXLのマクロ経済から、小さな事業までの中で、コンサルティングというのはLとM辺り。企業の方向づけに関してはプロフェッショナルだと思いますが、その細かな実行部分までは見られない。ちょうど中間にある領域だと思うんです。
前段階という「上」から発生してくる問題がある場合もあるし、後段階という「現場」に起きている場合もある。で、まずは下積みかなって。現場で下積みをしようと思いました。20年ぐらい・・・。納得がいくまで。

宮崎 20年は長いですね。下積みじゃなくなっているでしょう。

松村 えぇ。ただどんな場合でも、ゼロからやらないとわからないと思うんです。ゼロからやらないと、いざという時に基本に戻れないから、ゼロからやりたいというのがありました。

あまり器用ではないのに、器用にわかった気になって、訳がわからなくなってしまった苦い経験があるので。とにかく触ってみて冷たいとか、話していて楽しいとか、すごく当たり前の感覚を大事にしたいと思います。

宮崎 コンサルではなくて主体であるということですね。
そうやって悶々と悩んだ1年間に、今回の事業計画が立てられたんですか。

松村 いいえ。まず思ったのは、社会という大きな球体がある中で、経済というのはその真ん中にあって水みたいなもの。そして、その水、つまりお金を循環させるためにいろんな業界や会社があって、たくさんの人が働いている。少しでも大きくお金を循環させようとがんばっている。でもそうやって皆がんばって働いているのに、東京の街をぶらぶら歩いていて、その周辺の風景が好きになれないなと思ったんです。
それに歩いている人々は元気そうには見えないし…。とにかく僕らが住んでいる東京は美しくないなと、ある時ふと思ってしまったんです。

抽象的な表現ですが、社会という球体の中で経済的なことの外部というか、経済的には成立しないサービスだったり、お金では解決しないことにしわ寄せがきていると感じました。経済優先に振れすぎているから、社会の胎盤としての機能がどんどんやせ細って弱くなる。例えば病院だったり、学校だったり、公園などの緑地だったり、いろんな周辺の部分にしわ寄せがきているのではないでしょうか。

宮崎 経済社会を囲む「人として生きるための安全膜」に厚みがなくなっているということですね。

松村 そうですね。どんどん薄くなって、簡単に人が(その膜)セーフティーネットからもれてしまっているような。

宮崎 少し前の時代はここにいられたのにということですね。

松村 ここで暮らしてみたいというか、なんか公園でボケーとしていて、さっもう一回働くかみたいな、なんかそのゆりかごみたいなものがあったかなっていう気がするんです。

そんなものが今はなくなっていて、ただこうひたすらバトルロワイヤルみたいな状況になっている。そして、その傾向は、東京のような大都市で顕著です。

それで、テーマはコミュニティー、学校、医療、公園・・・この辺りの福祉的な役割をやろうと決めたわけです。


■今の自分にできることは「公園」をつくることそして、経済性と両立させる「新しい仕組み」ができてきた

宮崎 なるほど。そこからいよいよ事業計画ですね。

松村 退職した後の2、3か月はどの分野に絞るかを考えました。

まず医療は、現場の実感の裏づけを得るのにものすごく時間がかかりすぎるように思い、やめました。

学校はすでに民間でやっていらっしゃる方が何人もいらして、また人を育てるということに関しては、人間性としての基礎がしっかりしていなければならないと思うのですが、まだまだ僕は人間的に未熟だなと思い、やめました。

いろいろ考えているうちに、公園を民間でやっている人は誰もいないから公園をやろうと思ったんです。
それで屋上緑化をやっている社長さんに話しを聞きにいくと「屋上緑化はもう限界だよ」っておっしゃるんですよね。場所がないって。それで結局のところ不動産というか、都市の限られた土地という面積の奪い合いという問題にぶちあたったわけです。

じゃぁ、今まで何にもなっていない空中に新たな空間を創ろうと。

僕の経営の恩師である人が「駐車場の上を使った事業ができないか」という話をしていて、誰も本気にしていなかったんですが、たまたま僕はそこに居合わせて「おもしろいかな」って思って「やりましょう」ということになったんです。

僕はもともと公園を創りたいわけだから「やっぱり公園ですよ!!」って言ったんですが、「そんなことやっても儲かんないよ!!」と言われました。本当に最初は、このショールームのようなビジネスの仕組みもなくただ漠然と公園を創るつもりで、大企業にスポンサーになってもらって公園を創ろうと思い営業に行ったのですが見事に玉砕。一緒にやってきたチームも解散に追い込まれました。これはどう頑張ってもだめだな、あまりにもあり得ない話だと僕自身も気がついたんですね。ただお金がかかるばっかりの話ですからね。

スポットをやっていてもだめなんだ、ちゃんと仕組みをつくらなければと、次はちょっと頭をつかって考えたわけです。

ただ公園だけでは儲からない、儲からなければ普及しないというのがわかったので、経済性と社会性と両方を実現できる道を模索しました。誰もが商業的につかえるような空間であって、かつ、そこに公園が設置できたら・・と思ったんです。そう考えてみるとこの都心の100円パーキングの空中という空間が使える。

でも実際には、法律的にも慣習的にも建築的にも本当に難題が山積みで、それを一つ一つ解きほぐして解決するのに2年かかりました。

宮崎 法律的にクリアーするのは結構大変だったんじゃないですか。

松村 既存の駐車場に建物を建てて「空中権」の賃貸借をするのですが、その他、建物そのものをレンタルする仕組みやら「契約書」も全てオリジナルでつくりました。

宮崎 この建物もとてもユニークですが、どうなさったんですか?

松村 今回、設計を手掛けてくださった建築家のアトリエに相談に行ったら、「これはどうか?」というアルミ建築の提案を受けたんです。「あぁこれはいける!!」と思い、それからショールームを訪ねカタログを全部見させていただき、直感が確信に変わり、グループリーダーの方に頼み込んで社長に引き会わせてもらいました。そこから道が開けました。

このシステムは3日程度で組み立てられます。別な場所に何回も組み立て直せるので、不動産を流動的に活用しなければならない地主さんにとってはとても有効な土地活用法になりますし、新しく何かを始めようとする人達にとっては手軽に「拠点」を確保することができます。
都心に新しい白いキャンパス、余白が産まれることになったわけです。これから21世紀に求められる新しい業態や新たな活動を行なう人々を育む社会の胎盤としての役割を担って欲しいと思っています。

宮崎 その上がもともと松村さんがおやりになりたかった「公園」つまり「緑化」された空間になるわけですね。この室内空間も、屋上の緑化空間もあることで、屋内、屋上ともに価値が上がり、さらに都市も緑化されるわけですから、どこもみんないいといういう感じで・・・。
経済性と社会性が両立するビジネスプランになったんですね。

松村 そうですね。勝ち組・負け組というような二者択一な言い方がはびこっていますが、本当はもっとグラデーションであるべきと思います。

宮崎 そうですね。私としては松村さんがもっている「いいこと」と「ビジネス」のバランス感覚が素晴らしいと思っています。今までの「天職を探せ」に出ていただいている方もみんなそうなんですけど、両方の感覚を当然持っていて、バランスがとれている。上手にブレンドしている。これからはそういう人がどれだけ出てくるかによって、社会がどうなっていくかが決まると思っています。「天職を探せ」シリーズでは、今はまだ結果は出ていなくとも必ずいい方向に変えてくれるという人にお会いしてきているつもりです。私の勝手な思い込みですが、期待しています。

さて、今後の計画とかは立っているんですか。

松村 3年後60棟、売上8億円。2010年に上場、そのときの売上げは25億から30億円と考えています。お陰様で、新聞の取材や不動産、駐車場関係者、また直接地主さんからの引き合い、テナント様からの引き合いも確実に増えてきています。

2年間本当に孤独な日々が続きましたので、電話が鳴ると「きたっ!」って過剰反応してしまってます(笑)。真剣に話を聞いてくださるだけでも本当に嬉しく思っています。

宮崎 そうですか(笑)その感じとてもよくわかります。屋上緑化はまだこれからの計画ということですが、本筋を外さないよう本当に自信をもって頑張ってくださいね。

最後に何かこれだけは言っておきたいということはありませんか。

松村 同じ世代の人に言いたいのですが、かなえられない「夢」は見ないということです。「夢」ならなんでもいいということはありません。
かなえられる「夢」を描いて、かなえられるようきちんと努力をする。ただ漠然と「夢見つづける」のではなく、具体的なイメージを固めながら一歩一歩そこに向かって地道に進んでいく。新幹線でピューと行けるような簡単な方法はどこにもありません。そして一旦、覚悟を決めたら、何があっても、決して、決して、決して、諦めない...。

宮崎 そういうことを松村さんのような若い方に言ってもらえると有り難いですね。私たちが言うと何かお説教じみてしまうので。

とても興味ある楽しいお話をありがとうございました。
5×緑(ごばいみどり 都市緑化システム)だけじゃなく、いろいろお役に立てればと思っています。応援しています。(了)