きゃりあ・ぷれす

天職を探せ
様々に悩み、考え、挑戦して、
今『天職』と言えるものを見つけてがんばっている人、
見つけつつある人と発行人宮崎との対談。
天職を見つけた結果よりもそこに至る思考の変遷や
キャリアの蓄積などの経緯にスポットを当てています。
それが、今、様々に悩んだり迷ったりしている方に
少しでも役立てば幸いです。
株式会社アイエスエフネット 代表取締役 渡邉 幸義さん
第21回 出版社勤務から食材販売業へ
~失敗や回り道が、今の自分を導いてくれた~
久しぶりの「天職を探せ」にご登場いただくのは、子育て真っ最中のご家庭に食材を提供する「ままともや」の長谷部正規さん。奥様と二人で、事業を運営されています。お客様の多くは、地域の“ママ”さんたち。“ママ友”のネットワークから始まった、地域密着型の販売方式です。 実は、発行人の宮崎と長谷部さんは、かつて同じ会社で働いていたことがある旧知の仲。その頃、長谷部さんは自然食品の世界とは対極あるような、広告営業のお仕事をされていました。広告営業マンから新規創刊雑誌の編集者を経て、現在は「おいしくて安全な食材をお届けする御用聞き」。長谷部さんを異業界、異業種への転進へと導いたものは何だったのか?山あり谷ありの人生の変遷を伺いました。


代表取締役 長谷部 正規さん
(株式会社ゴージュン 「ままともや」)
http://mamatomoya.blog21.fc2.com/

【プロフィール】
1959年4月9日生まれ 神奈川県相模原市出身
1983年 新卒で教育系出版社に入社
1991年 編集制作会社に転職、新創刊雑誌の立ち上げに携わる
2008年 株式会社ゴージュン設立。「ままともや」で食材販売を開始

■自分を見つけられなかった20代
宮崎 どこから話しましょうか。私とは、某教育系出版社で一緒だったわけですが、その会社には新卒で入られたんですよね。大学時代の専攻は何だったんですか?

長谷部 専攻っていうほど勉強したわけではないんですが、大学は千葉大学の工学部で、写真工学という学科でした。

宮崎 その学科では何をやろうと思っていたんですか?写真を撮りたかった?

長谷部 多少は撮っていましたけど、「何を」と言うってほどの動機はなかったですね(笑)。

宮崎 そうですか(笑)。入社した会社は、工学とは全く関係ないですよね。

長谷部 あの学科にはカメラマンになる人が多少いたんですが、私はカメラマンを目指すほど写真が好きだったわけでもなく、何となくマスコミに。

宮崎 なんとなくマスコミに(笑)。マスコミの人気企業を受けたんですか?

長谷部 出版社や新聞社を受けて、そういうところは受からなくて。何かの縁で最後の方に採用されて、なんとなく(笑)。

宮崎 なんとなくマスコミでなんとなく出版系で(笑)。配属は?

長谷部 広告宣伝部や広告営業の仕事を。中学の進路指導の先生たちを相手にするような、すごく泥臭い世界も経験しましたね。

宮崎 その頃、どんな気持ちで働いていましたか?

長谷部 今思うと、自分は仕事ができたわけでもなく、ただ酒ばかり飲んで、ストレスフルでしたね。あの頃のことを聞かれると恥ずかしい感じです。

宮崎 その会社には何年いたんですか?

長谷部 8年ですね。

宮崎 じゃあ20代はずっと。

長谷部 そうですね。

宮崎 8年で会社を辞めて転職された理由は?

長谷部 その会社で一緒だった元上司に誘われた、ということに尽きます。

宮崎 「これ以上無理」というマイナスの動機ではなく?

長谷部 そうですね。

宮崎 それなりの規模の会社で働いていて、創設して間もない会社に誘われた。迷いましたか?

長谷部 迷わなかったですね。

宮崎 何故ですか?

長谷部 一社目の中では、自分を見つけられていなかったんですよね。

宮崎 具体的なイメージや目標が定まらないまま、20代ははっきりしない感じで働いていた?

長谷部 そうですね。あの頃の私を知っている人は、「アイツは大して仕事はしないで大酒くらって酒癖が悪い」っていう印象しかないかもしれない。

宮崎 そうねぇ(笑)。私もそんなにはよく知らなかったですけど、同じフロアにいてみていると、「何となくチャラチャラやって過ごしてるな」とは思ってましたね。「楽そうでいいなあ」って。

長谷部 あー、そうそうそう。そうかもしれない。

宮崎 感じとしては上手いこと適当にやっている感じ。

長谷部 おっしゃる通りです(笑)。ただ、一応言い訳をすると、部署の解体やら合併があって、人員がやたら膨れ上がっていたんで、楽には見えたと思います。

宮崎 人が多くて仕事があまりなかったんですね。それはつまらなかった?

長谷部 まあ…。楽でしたね。適当に仕事はやっているつもりでしたし。ただ、私も仕事に慣れて、多少自信を持ち始めた時期もあったんですよ。その後、その部署が解体になって、先ほどお話した「泥臭い世界」に突入したんですが、代理店のおやじさんとか進路指導の先生を相手にする仕事で。正直言うと一番苦手な人種でした(笑)。

宮崎 はははは(笑)。

長谷部 そこを上手く突破するのではなく、「つまらないなあ」と思っているところで、新しい会社に誘われたので、何も考えずに行っちゃったんですね。

宮崎 2社目では何をされていたんですか?

長谷部 編集プロダクションのようなところだったので、最初の頃は大学案内やパンフレットを作っていました。仕事の経験やスキルなど、今の自分があるのはそこでの経験のおかげですね。

宮崎 編集、執筆、全体の進行管理をやって。その後、自社で出版物を出されたそうですね。

長谷部 自分たちのメディアを作りたい気持ちはかなり強かったんですが、ひょんなことから農業に関する広報誌のようなものを作ることになったんです。決してお洒落な内容ではなかったけれど、農業とそれに従事する人たちのライフスタイルを扱いつつ、経営について考えるジャーナリスティックな視点もありました。通販事業も手がけていました。

宮崎 それは今の長谷部さんにつながっていますか?

長谷部 つながってるみたいです。

宮崎 みたい(笑)。なるほど。その後、新創刊の雑誌を手がけられたんですよね。シニア向けというそれまでになかった分野で、世の中でもかなり話題になった。

長谷部 そうですね。実は、この事業は民事再生法が適用されていったん終焉を迎えてしまったんですが、当時は「シニアに豊かさを提供する」という新しい視点で、各方面からかなり注目を集めました。何もないところから5〜6人でやり始めたことがどんどん大きくなって、私は生え抜きだったので、最終的には現場ではトップに近いところでやらせていただいて、色々な経験をさせてもらいましたね。

■人生の転機になった「舌切り小屋!?」でのできごと
宮崎 久しぶりに再会した時、ちょうどその雑誌を作られていた頃だと思うんですが、一緒の会社で働いていた頃と印象がガラリと変わったと感じたんですよ。

長谷部 結婚して、子供ができて、子供のことを通して自分の体のこと、心のことを知るようになったことが大きく影響しているんだと思います。

宮崎 具体的にどんなことですか?

長谷部 妻が出産した助産院は産後の“おっぱいケア”がしっかりしていて、母乳の出方だけでなく、子供がしっかりおっぱいを飲めているかもみてくれるようなところだったんです。それで、うちの子供はおっぱいをあまりうまく飲めていないということが分かって、舌小帯がどうのこうのっていう話になったんです。舌小帯っていうのは、舌と下顎がつながっているところのことなんですけど、ここがくっつきすぎているとおっぱいが上手く飲めないんです。赤ちゃんは舌で真空状態を作っておっぱいを飲むんですが、この真空状態が作れないと、大人のように呼吸で吸おうとする。それではおっぱいは出てこないし、呼吸が苦しくなって結果的に母子ともにストレスがかかるんですね。赤ちゃんは吸っても吸っても飲めない、吸えば吸うほど息が苦しくなる。母親は、授乳にすごく時間がかかる上に、乳首を噛まれるから痛い。お互いに嫌になってしまうんです。

宮崎 なるほど。

長谷部 「舌癒着症」という症状なんですが、調べると男性の発症が多く、優性遺伝なんです。僕が「舌癒着症」ならば子供もほぼ同じ症状が出る。また、「舌癒着症」の子供は切れやすい、親と衝突しやすい、なんていう傾向もあるようで、それをみて「これは俺じゃないか!」って(笑)。それで、産院に勧められた診療所に子供を連れて行きました。

宮崎 自分に思い当たるところがあったんですね。

長谷部 そうですね。妻は幼い子供の体にメスを入れることに抵抗感があったし、例え授乳に時間がかかったとしても、母親はそういうことにイライラしてはいけないという強迫観念があった。でも、私自身が自分の経験として納得しちゃったもんだから、すぐに連れて行ったんです。いざその病院に行ってみると、全国から同じような症状の子供が集まってくるもんだから、まるで野戦病院のように舌を切りまくっているんです(笑)。

宮崎 舌きり小屋(笑)。

長谷部 舌を切った瞬間、子供のほおがポッと赤くなるんです。

宮崎 血色がよくなるんですね。

長谷部 抱くとね、軽いんですよ。

宮崎 緊張していない。

長谷部 ふわっとなってる。今まではストレスがあって強張っていたのが、楽になって赤い顔でニコニコしている。術後すぐおっぱいを飲めているか測定するんですが、本当は舌を切る前は授乳してはいけないんだけど、ぐずったもんでつい飲ませちゃったんですね。妻は「さっき飲ませたばかりだからあまり飲んでいないかも」と心配したんですが、実際測ってみるとすごくたくさん飲んで。それまでの授乳と感覚が違いすぎて、飲まれていると分からないくらいだったんですね。ふわふわ~っと飲んでいる。ああ、よかったと。それで、自分自身もその2週間後くらいに切ってもらったんです。

宮崎 大人の術例もあるんですか?

長谷部 大人の場合、術後の影響がある人と特に何も変わらない人といるようですが、私は思い込みが強い方でしたから…。術中は舌が固定されてこちらは喋れないんですけど、無頼な感じの先生が切りながら「今切ったよ」なんて話しかけてくる。「あ、腹式呼吸になったよ」とか言われて。それまでも呼吸の通りがよくなかったので腹式呼吸がし難くて、確かに空気の通りがよくなってきたな~と思っていたら「子供の時切った跡があるよ」って。「お母さんに感謝しないとね」、「育てにくい子供だったんだよー」って、そんなことを言われているうちに、身体に空気がぶわーっと入ってきて、その瞬間、涙がぼろぼろ…。「ありがとう」という気持ちで、30分くらい涙が止まらなかった。

宮崎 その後はどんな感覚なんですか?

長谷部 すべてにおいて安心感がでましたね。緊張感がなくなり、相手に対する敵意や不安感がなくなる。それから、体が疲れにくくなりました。そういう変化を通して、呼吸など、ちょっとした違いが身体に大きく影響していることを強く感じて、自然療法やホメオパシーにも興味を持つようになったんです。

宮崎 そういう経験がある一方で、当時会社で行き詰まっている感覚があいまって、自分の中で「違う」ということがより明快になったんですね。

長谷部 そうですね。

■失ったものもあるけれど、失敗があったからこそ今がある
宮崎 その後、ほどなくして会社を辞められた。いわゆる“脱サラ”は、一大決心でしたか?

長谷部 前向きな「新しい船出」でしたね。

宮崎 結婚もされてお子さんもいて、不安はなかった?

長谷部 むしろやる気満々でした。でも、何をやるかは決まっていなくて。

宮崎 もちろんそうですよね。

長谷部 ただ、その頃自分の中でフォーカスされていたのは、「好きなことをやっていけばいいんだ」っていうことだけだったんです。ちゃんとおまんま食っていくためにどうしたらいいのかっていうことに関しては脆弱でした。

宮崎 先ほどの手術を通して、緊張から解き放たれたということが関係して楽天的になれたのでしょうか? 一般的には、経済的なことを考えなきゃいけない差し迫った状況のように感じるのですが、「なんとかなる」と思えた。

長谷部 実は在職中に、ある健康チェックシステムの研究開発をされている方との出会いがあって、それが大きなきっかけにはなりました。

宮崎 どんなシステム、商品だったんですか?

長谷部 人間は100%の健康から0%の健康=つまり死まであって常にその間にいるという考え方に基づいて、「未病」をチェックするシステムです。西洋医学では例えば患部に腫瘍ができるなど、顕在化したものしか「病」として捉えられないですけど、東洋医学では「悪くなりつつある」という捉え方がある。科学的根拠は薄いとされている部分です。そのシステムは問診によって体の状態をチェックするシステムだったんです。「最近イライラする」とか「考えがまとまらない」とか「気分が軽くなる」とか、一見全く関係ない質問に答えることによって、体の中の未病段階、たとえば糖尿病になりつつあるとか、このままだとなってしまうとか、そういった傾向値を出せる。その時は僕の中に、「身体を改善すれば心も健全に生きることができる」という考え方があったので、このシステムを普及させて本当にいいものを物販する事業を起こそうと思ったんです。

宮崎 そのシステム自体は私も面白いと思ったし、「こういう結果が出るだろうな」っていう自分の予測とは違うものが実際は出てきて、そこに信憑性があった。自分でわかることなら必要ないけど、そうじゃない結果が返ってきた。健康診断や人間ドッグに行かなくても、かなり高い確率で「未病」がわかるということでしたよね。

長谷部 そうですね。その事業は開発者の方とのコミュニケーションが上手くいかず頓挫してしまいました。今思えば時間を無駄にした面もあるし経済的にも苦しくなってますけど、その事業やそれに関わる人たちとの出会いが、自分を新境地へと導く手材料、道具立てにはなりました。

宮崎 脱サラ事業は頓挫して。その後、自然食品とかをトマトジュースの販売みたいなことをやられたんでしたっけ?

長谷部 あははは。

宮崎 あははは。

長谷部 模索をしつつ、それもまたなかなか上手くいかないまま(笑)。

宮崎 まあ、事業をおこしてそれを継続するのは本当に難しいですから。ビジネスが10個あって1個あたるかってくらいですから。

長谷部 本当にそう思います。もう少し、出会いや流れに沿ってポンポンポンと進むと思っていたんですが、そういう動きも現れては消えて、結局何もなくなってしまったり…。

宮崎 でも、なくなっていくっていっても、そのステップによって次が生まれて、またその次に流れていくんですよね。それは必要な経過でしょうし、例えば編集の仕事からいきなり現在の「ままともや」にはならないでしょうし。

長谷部 ならないですね。

宮崎 その流れは必然なんですよね。

長谷部 今は妻と二人で事業をやっていますが、会議なんかをしても、「お金はなくなってしまったけど、その前の段階でこんなことできなかったし、何か教えてくれてるんだよね」っていうのが夫婦の結論というか。ここから行くしかないですから。

■最高のパートナーとともに
宮崎 今現在されている「ままともや」について教えてください。

長谷部 始めたきっかけは、埼玉の野菜農家である妻の実家作業場に転がっていた大きな玉ねぎなんです。「大きすぎて出荷できない」ということだったので、妻が持り帰り、近所の友人、つまり「ママ友」に売ったんですよ。そこから少しずつ妻なりの審美眼でいいと思ったもの、知り合いから教えてもらったいいものを売るようになりました。販売のネットワークは「ママ友」からのつながりで、ご近所だったら配達したり、あとはインターネットの通信販売ですね。最初は100円とか200円の売上で、ただその中で彼女なりに「ここであった収益でしか仕入れをしません」とか商売につながるポリシーがあって。何かはっとしましたよね。そんな基本的なことも自分はいい加減だった。そういうことの積み上げをしていく、努力しない限り成功はないっていうことを思った。売上規模は小さいけれど、今はこの事業を大きくしていきたい。

宮崎 販売エリアはどんな感じなんですか? 小学校区をひとつのエリアとして?

長谷部 そうですね。事業プランとしては、現在の顧客リストは約100人で、家庭の平均食費が約6万円。「ままともや」で販売する商品は基本調味料、米、野菜、肉などベーシックなものでやろうと決めているので、6万円の3割、2万円をままともやで使ってもらうのが目標です。

宮崎 顧客は何人くらい必要なんですか?

長谷部 200人が稼動している状態、登録者が300人くらいが目安です。稼動しているお客様の200人のうち上20%が2万で80万、真ん中の40%が1万円で80万、下位40%が5000円で40万。合計で200万円の売上が目標です。

宮崎 今100人の登録者を300人に持っていけば、成立するということですね。

長谷部 そうです、そうです。

宮崎 それからインターネット販売ですよね。ネットはエリア関係ないですから。

長谷部 そうですね。エリアでの販売プラス、遠くもほしいなという感じで。

宮崎 今はまだ生活できる稼ぎにはなってない?

長谷部 そうですね。あと数か月以内にそこまで持っていくのが目標です。

宮崎 お二人で事業をされてお子さんもいらして、家庭のことは奥様と上手く分担しているんですか?

長谷部  一応この前の会議で納得したのは「家事も仕事である」。

宮崎 そりゃそうですね、やらないと。

長谷部 私たちの仕事は、「自分自身を磨いていく仕事」ということなんですね。そういうことを口にしただけでお互い楽になった。例えば、最近はママが綺麗になりたいっていうところにフィーチャーして、「美顔ヒーリング」っていう、レイキヒーリングを使ったフェイシャルエステのようなものの無料体験を我が家で開催してるんです。

宮崎 ハンドパワーを使ったフェイスケア?

長谷部 結構いいですよ。そういうことをするということは、我が家は事務所であり店舗でありショールームでありイベントスペースであり…。家に来てもらって試食もしてもらうし、小さなワークショップも開催しますし、家に人を迎える=お客様がお店にきてくださるということなんですね。家事が上手くまわっていかないと、お互いにストレスになりますし、お店を短時間でどれだけ磨き上げられるかっていうのは、仕事をするための技術であると。それまでは「ままともや」の販売の片手間に家事をやっている感覚でしたから、家事なんか上手くできるわけがないと思っていた。投げやり感とかストレスになっていた部分があった。でも、「そうじゃないぞ」と気が付いた。

宮崎 ここまでの歩みの中で、少しずつ自分の生きやすい、精神的に豊かな方向にきていますか?

長谷部 なっていると思います。自分一人じゃできなかっただろうし、妻も一人でこの事業をやることはなかったと思います。二人の得意なことを組み合わせてやっていく。そういう意味ではストレスはないですね。金がないっていう恐怖感はありますけど(笑)。いわゆる会社勤めのストレスはない。全ての問題が解決されているわけではないし、まだまだ発展途上ではありますけど、気持ちの上ではいい方向に向いていると感じます。妻と仕事をしてみて気が付いたんですが、彼女は私が今まで一緒に働いてきた中で、仕事上の上でも一番相性の良いパートナーなんですよね。そういうことに気が付けたことが、一番大きな財産かもしれないですね。